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 この『島やさい』は、島内の長崎新聞に週一回折込されていた「アイランドプレス」という情報誌に、2001年11月から17週にわたり掲載させていただいたものです。 (アイランドプレス編集部・平山匡彦)

『島やさい』

島やさい〜「はじめに」
島やさいU〜「この島の中で育まれた野菜であること」
島やさいV〜「この島の元気な土の上で育まれた野菜であること」
島やさいW〜「健康な空気のもと育まれた野菜であること」
島やさいX〜「きれいな水を吸って育まれた野菜であること」
島やさいY〜「きれいな水を吸って育まれた野菜であることA」
島やさいZ〜島やさいについて
島やさい[〜「太陽をいっぱいに浴びた旬の野菜であること」
島やさい\〜「無農薬で作られた野菜であること」
島やさい]〜「無農薬で作られた野菜であることA」
島やさい]T〜「島やさいの流通について」
島やさい]U〜「島やさいの流通についてA」
島やさい]V〜「島やさいの流通についてB」
島やさい]W〜「農業」
島やさい]X〜「最後に・・・」
島やさい〜「はじめに」
 養蚕がなくなり、葉タバコも先細りといわれ、この島の農業は非常に厳しい状況といわれています。まあ、この国全体でもそうなのでしょうが、農業だけで生活することも難しいと聞いています。(こんなの絶対おかしいと思うのですが・・・・)
 これらの農業を含めた一次産業の盛衰は、この島の経済に大きく係ってきます。この一次産業と共に、この島の収入の大部分を占めていた公共事業も縮小され、観光も苦戦しています。ですから、この島の発展には一次産業の発展は必須です。一次産業が発展することなく、この島が生きていく道はないと考えています。このような状況のもと、この島でも農協や行政の方たちの努力により様々な作物の育成が図られ努力されているという話をよく耳にします。

 そこで、私たちなりにこの島の農業をテーマに考えてみました。
 この島は、小さな島です。ですから広い土地で行われている農業と同じことをやっても難しいでしょう。同じやり方で、同じ物を作っていては、安い賃金で作られる海外の作物や、広大な土地を利用し大量に作られる作物に、価格面で勝てるわけがないからです。
ただ、ここには美しい自然と環境があります。それに他の地域と隔離された離島ということも大きなメリットのひとつです。そこで、これらのメリットを生かし『島やさい』というものを考えてみました。『島やさい』といっても、別に新しいものを作るわけではありません。以下にその定義を示してみます。

『島やさい』とは・・・・
@この島の中で育まれた野菜であること。
Aこの島の元気な土の上で育まれた野菜であること。
B健康な空気のもと育まれた野菜であること。
Cきれいな水を吸って育まれた野菜であること。
D太陽をいっぱいに浴びた旬の野菜であること。
E無農薬で作られた野菜であること。


 さて、これらのいくつかの項目を挙げてみました。次週からこれらの詳細も考えてみたいと思います。皆さんも是非一緒に考えてみてください。
 最後にもう一度、この島の発展は、農業を含めた一次産業の発展なしには考えられないのです。そして、この島には、まだまだ大きな可能性があるはずなのです。
しま野菜U〜「この島の中で育まれた野菜であること」
 今、皆さんが読んでくださっています、この「アイランドプレス」が折り込まれている長崎新聞は、深夜多くの野菜や雑貨などとともに、貨物船に乗せられこの島へと入って来ています。
 しかし、多くのものを私たちの福江島に運び込んでくれたこの貨物船は、福江島を出港するときには、ほぼ空の状態であると聞いたことがあります。これはどういうことでしょう・・・・・。つまり物の流れが一方通行になっているのです。一方的に物が入ってくるばかりということは、当然お金の流れは、福江島から出るばかりになっているのです。
 
 今回私たちが提案をさせていただいています『島やさい』は、この一方通行的になっている物の流れにの歯止めをかける一助になってくれるのではないかと私たちは考えています。
 さて先週、次のような『島やさい』の定義なるものを6つあげさせていただきました。
@この島の中で育まれた野菜であること。
Aこの島の元気な土の上で育まれた野菜であること。
B健康な空気のもと育まれた野菜であること。
Cきれいな水を吸って育まれた野菜であること。
D太陽をいっぱいに浴びた旬の野菜であること。
E無農薬で作られた野菜であること。
というものです。
 それでは、今週からこの定義一つ一つについて考えてみたいと思います。
@ 「この島の中で育まれた野菜であること」
 この島は美しい自然と環境がいっぱいです。しかし“この島が美しい自然・すばらしい環境に囲まれている”という事は、私たちのようにこの島に長年住んでいる人たちよりも、都会に住み、遠くからこの島を見ている人たちのほうがより感じているようです。
 このように福江島を良いイメージで抱いてくださっている都会の人たちが、この島の美しい自然・環境の中で育まれ、太陽の光を燦燦と浴びた健康な旬の野菜があるとしたら、少し値段が高くなったとしても食べてみたいとは思わないものでしょうか。(本当は、今でもあるのでしょうけど島内外でイメージ付けができてないだけかもしれません)
 つまり、私たちはこの福江島で育まれた『島野菜』というものを、そのまま付加価値とできると考えたわけです。

 どうですか、こんな野菜ならこの島の中で生活している皆さんも食べたいとは思いませんか?
 このような発想からこの『島野菜』というテーマは生まれました。
 ですから『島やさい』は、どこでもない、この福江島で育っているということが絶対条件となります。ですから定義の一番初めに「この島の中で育まれた野菜であること」という条件を挙げさせていただいたわけです。
 この、私たちが住んでいる福江島は、私たちが思っている以上にまだまだ多くの可能性が残っているのです。ただ、反省すべき問題もいろいろとあるのですが・・・・。
 次回は、定義のA以降を考えてみましょう。皆さんも是非考えてみてください。
島やさいV〜「この島の元気な土の上で育まれた野菜であること」
 さて、このシリーズも第3週目となりました。私たちが何故、この『島やさい』とブランドを作ろうとしているのか、少しは感じ取っていただけましたでしょうか。
 しかし、今後、この『島やさい』というブランドを育成させていくためには、この島の自然・環境というものを、今以上にもっともっと美しいものにする必要があると私たちは考えています。
 それは、ただの田舎で作る旬の野菜なら、どこにでも存在するからです。
 ちょっときつい言い方になってしまいますが、農業をやっている田舎なら、日本中どこにでもあるということです。そこで、ここが離島であるということが生きてきます。

 この島は、周囲を海に囲まれ、一番近い本土まででも100キロ離れた、他の地域から閉ざされた地域といえます。ですからこの島の中で、自然・環境と共生する島作りを行うことにより、またそのことを島内外に強くアピールすることにより、『島野菜』と言うもののブランド力が強まるのです。
 本土から遠く離れた離島で、山を大切にし、木々を育成し、コンクリートで固められた溝のような川ではなく、小さな虫や魚や両生類が自然に生態系を作り、きれいな水を湛えた自然な川が流れ、大自然と共生をしているような島がある。そのような島で、太陽の光を燦燦と浴びた旬の野菜が育っている。すばらしいとは思いませんか。

 そこで、『島やさい』の定義として次のような項目を入れさせていただきました。
A「この島の元気な土の上で育まれた野菜であること」
B「健康な空気のもと育まれた野菜であること。」
C「きれいな水を吸って育まれた野菜であること。」
 これらのことは、考えてすぐにできることではありません。しかし、この五島・福江島が美しい島であると都会の人に感じていただいているうちに、他の地域よりも先んじて自然・環境と共生する島作りに取り掛かる必要があります。これは大変な努力や、大きな改革も必要になってくるのかもしれませんが、今後、この島の市町村合併も踏まえ、この島が自立・独立できるようにするためにも絶対に必要になってくることだと考えています。
 そこで、これら3項目についても、それぞれ考えていきたいと思います。

A「この島の元気な土の上で育まれた野菜であること」
 元気な土の上で育まれた野菜を作るということは、当然土が健康でなければなりません。これは、薬漬けになっていない土で野菜を育てるということも含まれていますが、島全体のことも考えないといけないでしょう。
 ゴミの収集が細分化され、行政も一生懸命に環境について努力をしていただいています。ただ、まだまだ廃車の放置、電化製品や産業廃棄物、ゴミ類の不法投棄がなくなりません。(このことに関しては特に、家電リサイクル法が実施されて以降、全国的に不法投棄が急増し、回収量も経済産業省の予想の2割にとどまり、リサイクル工場には廃家電が集まらないなどの問題が起きているそうです。欧州のように、メーカーに回収処理を義務付け、メーカーの生産の見直しを促すことも必要だと私たちは考えています。)これらの中からは、徐々にオイルや廃液が流れ、この島の土の中に染み込んでいっているのです。また、ダイオキシンを含んでいるであろう焼却後の灰などが埋められているという話しも耳にします。このようなものの規制というものは、まだまだできていないというのが現状のようです。ですから、これらに規制をかけられるような島独自の条例案作りも必要になってくると思います。

 また、堆肥を主な肥料としていた江戸時代では、江戸の庶民の堆肥が他よりも高値で取引されていたと聞いたことがあります。これは江戸の庶民が、他の地域よりもいいものを食べていたからだということだそうです。(もしかしたら、現代人の堆肥は、大量の薬品や化学物質に汚染され、この人たちには見向きもされないかもしれません)江戸時代は、自然にリサイクルができるようになっていて、もしかしたらある意味、現代よりも進んだ時代だったのかもしれません。近年、野菜や余った魚などが業者から大量に捨てられているという話しがあります。また、家庭から出る生ゴミなども燃やして灰にしています。これらをコンポスト車(生ゴミを収集して肥料にする専用車)で収集し、肥料にし、化学肥料の変わりに使っていくということも考えられるのではないでしょうか。
 如何でしょうか。皆さんも考えてみてください。 
島やさいW〜「健康な空気のもと育まれた野菜であること」
 前回は、『島やさい』というブランド力を育成していくためには、都会の人たちが五島・福江島のことを、美しい島であると思っていてくださっている今のうちに、他の地域よりも先んじて自然・環境と共生する島作りに取り掛かる必要があるということで、定義の2番目である「この島の元気な土の上で育まれた野菜であること。」ということについて考えてみました。
 今週は、同様の目的で、定義の3番目以降について考えていきたいと思います。

B健康な空気のもと育まれた野菜であること。
 先週も申しましたとおり、この島は、周囲を海に囲まれ、本土から遠く離れた、他の地域から閉ざされた地域であるといえます。だから地球温暖化や酸性雨の問題・オゾンホールの問題とは関係ないかというと、当然そんなことはありません。地球温暖化やオゾンだけではなく、皆さんもご存知のとおり、この島の中でも酸性雨のデータが出ています。
 これらの問題は、地球規模で、一緒になって取り組んでいかなければならない問題です。しかしこれらのことについて、他よりも先に取り組んでいくことも、ひとつの方法ではないでしょうか。たとえば、島民にとっても、車は必要不可欠なものですが、この車の動力の変換を先んじて行っていくというのはどうでしょう。まず、ディーゼル車を廃止し、その後ガソリン車も廃止していく。その代わりに、今後主体となっていくであろう低公害車、燃料電池自動車へと変換を行う。これを島全体で行うというというのは、かなりのアピール力があります。私たちがこのことを考え始めたのが6年前です。当時は、かなり過激な意見と捉えられていました。今でもちょっと過激な感じがするかもしれませんが、実際に東京都では、石原知事の下、ディーゼルトラックを締め出したり、燃料電池バスを走らせたりという取り組みが始まっているのです。そして近い将来は、世界中でこういう動きが始まるのです。決して、突飛な考えではないはずです。

 また、岐宿町で、風力発電が行われていますが、化石燃料を燃やすような発電でなく、風力も含め、ソーラー発電やバイオマス、小規模の水力発電、波力、潮力・水素エネルギーやごみ焼却余熱等の新しいエネルギーの導入を積極的に進めることも有効だと思います。
空気の問題というのは、他の地域から離れているとは言っても、どうしても影響を受けてしまう問題です。しかし、大量の車が走っているような地域からすると、それは比べ物にならないほどこの島の空気はおいしく、きれいです。その上こうして島全体できれいな空気を育てていき、その島の中で、化学薬品を散布せず、自然なきれいな空気を吸って育った野菜があったら、おいしそうじゃないですか。
 次回は、定義の4番目「きれいな水を吸って育まれた野菜であること。」について考えていきたいと思います。
 この『島やさい』というテーマについて、多くのご意見を寄せていただけるようになりました。今後も、ぜひ一緒に考えていきましょう。よろしくお願いいたします。
島やさいX〜「きれいな水を吸って育まれた野菜であること」
 先週・先々週と環境問題に関する記述が増えましたが、テーマはあくまでも『島野菜』です。お忘れのない様に・・・といっても今週もそんな感じになってしまいそうですが・・。
 では早速、定義の4番目「きれいな水を吸って育まれた野菜であること」について考えていきたいと思います。
 植物、もちろん野菜にとって、水というものは、とても大切なものです。ですから、きれいな水であるということは、野菜そのものの安全性からみても、それは当然重要なことです。しかし、今回は、『しま野菜』というブランドのイメージを高めるためにもこの島全体のことを考えていきたいと思います。

 たとえば、こんな話しがあります。
 北海道・襟裳岬の漁協の奥さん達が、自分達人間が100年の間に壊してきた海岸や海を、これから100年かけて復元しようという運動を始めました。そして、自分たちの手で山に木を植え、川を育て、やがて豊かな海を取り戻しつつあるということです。
 この話しは、何度もテレビや雑誌等でも紹介されていますので、ご存知の方も多いかと思いますが、海をきれいにするために、先ず山に木を植え、また川を豊かにするという発想は、すばらしいと感じました。
 最近は、行政や土木関係者の努力のおかげで、河川工事も大きく変わりつつあるようですが、以前は、洪水防止や安全のために川幅を広く取り、かつ直線的な河川の工事が行われてきました。こうした河川の形態の変化は、多くの生物の生態系に大きくかかわってくるといわれています。それは何故でしょう。
● まず、川が直線的に流れることによって、よどみがなくなります。すると、ここに生育するはずの微小生物が生活できなくなります。そして、自然な形の生態系が作りにくくなります。
● また、深くコンクリートで固めた川にすることにより、陸上生物や両生類と川とのつながりが断たれてしまいます。また水草も少なくなるでしょう。
● 水草やよどみがなくなれば、昆虫や水中生物が卵を産み付ける場所がなくなるのではないでしょうか。
● そうやって、川に関わりを持つ生物の生態系が破壊されると、本来あるべき、川自体の自浄作用がなくなると考えられます。
● その上、無造作に流される家庭排水、事業用排水によって、川は川でなくなり、コンクリートで固められた大きな溝となります。そして、ただ単に汚い水を集め、海に送るまでのドブとなってしまいます。
 そういえば、最近、カエルの姿や川ガニの姿を見なくなったと感じませんか?
 次週も、引き続きこのテーマについて考えてみたいと思います。皆さんも一緒に考えてみてください。ご意見、ご感想などお待ちしています。
島やさいY〜「きれいな水を吸って育まれた野菜であることA」
 さて、今週も先週に引き続き、定義の4番目にあげさせていただきました、「きれいな水を吸って育まれた野菜であること」について考えていきたいと思います。
 前回、川について紹介させていただきましたが、通常川というものは、いくつもの県や市にまたがり流れているので、統一した考え方で川に対して取り組むことは難しいと考えられます。(一部、四国の四万十川など、特別に条例を設け取り組んでいるところを除けばですが)そこで、ここが離島だということが生きてきます。ここが離島であるというのは、普通に考えると大きなハンデなのですが、最大のメリットでもあると考えています。それは、この島が閉ざされた地域だからです。この島の中にある川は、当然ですが、この島の中で生まれ、そしてこの島の周りの海へと続いています。ですから川を美しく、自然にあふれる川にするという取り組みを、島全体として見つめて行いやすいのではないかと考えられます。

 また、2番目の定義である「元気な土の上で育まれた・・・」のところでも取り上げましたが、電化製品や産業廃棄物等の不法投棄の問題も関係してきます。
 以前、湧き水で有名な場所を教えていただき、家族で水を汲みに行ったことがあります。結構な山の中だったのですが、そこには湧き水を組みにこられた方たちが行列を作り、それぞれが何本もの水を入れるタンクを持って来ていていました。その頃は特に雨が少なかったせいもあり水量が少なく、とてもじゃないけど自分たちの番が回ってくるまで待ってられないと、お弁当を食べ、散歩をして帰ってきたことがあります。ところが、その水汲み場の周辺には、冷蔵庫や洗濯機などの電化製品や、不燃物のごみなどがあちらこちらに捨てられてあったのです。あのごみの中のものも、当然、この湧き水の中にもしみているんだろうなと思うと、ちょっとがっかりしたものでした。湧き水というのは、何層もの土や砂利などで濾過されて、きれいな水になっているのでしょうが、その土自体も汚染されているとしたらどうでしょう。このような問題も、早急に取り組む必要があると考えます。

 以前は、この島の中にも川遊びができる場所がたくさんあり、島の人たちも川と接する機会がたくさんあったように思います。そのような場所が、どんどんなくなっているようには思いませんか?確かに、河川の整備によって、水害等の災害は極端に少なくなってきました。しかし、現在進められているような、近自然型の河川工事等をもっともっと発展させ、自然と人とが、今よりも身近になることも大切なのではないでしょうか。そうすることによって、私たち島民の、川や水に対する意識もまだまだ変わってくるような気がします。
 最近、メダカを見かけたことがありますか?近頃、白魚食べてませんよね。
 きれいな湧き水がたくさんあって、美しい川が流れ、そこには、虫や魚や両生類が自然に生活している。そういう島で、太陽の光を燦燦と浴びた、旬の野菜があったとしたら、少し値段が高くなったとしても食べたいとは思いませんか。
 次回は、定義の5番目、「太陽をいっぱいに浴びた旬の野菜であること」ということについて考えてみたいと思います。
 皆さんも是非一緒に考えてみてください。
島やさいZ〜島やさいについて
 先日、農業を本業にされておられる方から、この『島やさい』のコーナーは、どんな人が書いているのかと尋ねられました。
 私たちは、農業をやったことはありません。ですから、私たちが提案していることは、プロの農家の方たちから言わせると、現実からかけ離れた夢物語のようなことなのかもしれません。ただ、野菜を求めている人たち、食べたいものを考えている人たちは、そのような農業に関して全然知らない人たちなのです。

 ですから私たちは、島作りの発想から、このようなものがあれば島で取れる野菜に付加価値をつけることができるのではないか。『島やさい』というブランドを強固にできれば、この島の農業に希望を持て、この島の中で定着でき、島外にも売り出すことができるのではないか。そして、物が一方的に島の外からやってきて、この島からお金が外に出て行くという今の現状を変えることができるのではないかと考えました。
 この島の中で何かを生み出し、島の外からお金を持ってくる方法としては、今後観光とか、情報とか、その他いろいろと考えていかなければなりませんが、この一次産業の発展が、最も重要なものだと私たちは考えているのです。

 サービス業や、土木事業・小売業などについて、本土の大手の企業を誘致した方がしっかりしているし、安心できるといわれる島民の方の声も時々耳にします。しかしどうなのでしょうか。この島の人たちや企業では、本当にだめなのでしょうか。
 そんなことはないはずです。それだけではなく、この島のお金を、そのまま島外へ出してしまっていては、今後、この島は自立・独立することはできなくなってしまうのではないでしょうか。

 この島の中の産業を強固にし、この島から外へ対してのお金の流出を最低限に抑え、島の外からお金を引き込む。そのような形を作れるようにならなければ、いつまでたっても、この島の自立・独立はできないでしょう。それができなければ、市町村合併などしても、自治体としての存続は難しくなるのではないでしょうか。もし合併後にその形を作れなければ、県やもっと大きな自治体の管理下におかれるような島になってしまうということも考えられるかもしれません。
 もうすぐ2001年は終わります。新世紀の幕開けであるこの年を振り返ってみてみると、この島にとって様々な事件があり、まるで世紀末のような様相を見せていたように思います。だからこそ、今この一次産業を含め、様々な産業の発展に対する転換を急ぐ必要があるのだと考えています。『島やさい』というブランドは、その中の重要なもののひとつであると私たちは考えているのです。
 今、官民一体となり色々な動きが活発になっています。是非、皆さんも一緒になり、この島のために何が必要なのかを考え、行動をして頂ければと思います。

 今週は、『島やさい』の定義から少し離れてしまいましたが、次回は定義の5番目、「太陽をいっぱいに浴びた旬の野菜であること」ということについて考えてみたいと思います。
 皆さんも是非一緒に考えてみてください。
島やさい[〜「太陽をいっぱいに浴びた旬の野菜であること」
 「となりのトトロ」という映画を見たことがありますか?この映画の中で、メイという女の子が、おばあちゃんの畑から採れた野菜にかぶりつくシーンがあります。
 夏の太陽の光を燦燦と浴びて、瑞々しく熟れたトマトやきゅうりを、メイとさつきと、おばあちゃんが汗を流しながらもぎとり、その後きれいな小川にさらし、きらきらと光るきゅうりにメイがかぶりつく・・・見ているだけで本当においしそうで、もうそれだけで最高のご馳走のように思えました。
 今回取り上げさせていただきます「太陽をいっぱいに浴びた旬の野菜であること」という5番目の定義は、このような印象の残るイメージもあったのですが、実はたまたまこの島を訪れた女性たちの話しから思いつきました。
 その女性たちの話とは、アスパラガスを特産としているヨーロッパのある地方があり、ここでは旬の時期以外はアスパラガスを採る事を禁じているというのです。この地方にはアスパラガスを使ったこの地方独自の料理があり、アスパラガスが解禁になると世界中からこの料理を食べるためにこの地方に人が集まり、すごい賑わいになるということでした。
 この島の中でもアスパラガスはよく栽培されているようですが、見ていると、年中出ているようですね。(因みに、アスパラガスの旬の時期は、5月ころだとか・・・)

 皆さんも知っていると思いますが、旬の野菜は、ハウスものに比べて栄養価が高くなります。また露地栽培のものは、太陽の光を浴びて薬品等も分解され、人体にもより安心になるというデータもあります。そのことも確かに重要なのですが、それよりも“おいしそう・・・”ということが、私にとっては重要だと考えています。
 やっぱりトマトは、畑からもぎたてたばかりのものを、がぶりとかぶりつくのが一番おいしいとは思いませんか?
 現在12月、さてどんな野菜が旬なのでしょう。野菜カレンダーによると、“白菜”“ねぎ”“春菊”“小松菜”“大根”“にんじん”・・・ん?・・・鍋?・・・やっぱり冬は鍋の季節なんですね。

 その季節、季節には、その時期だからこそおいしい味というものがあるのです。ですから私たちは、太陽をいっぱいに浴びた露地栽培で、また旬の時期に採れたものだけを『島野菜』と呼ぶということを定義の中に入れさせていただきました。また、今後は、この『島野菜』を使った、この島独自の料理というものも考えていけたらという風に考えていますが、それは、また今度の機会にしたいと思います。
 さて、今回の「太陽をいっぱいに浴びた旬の野菜であること」という定義、皆さんはどう考えられますか?次回は、定義の6番目「無農薬で作られた野菜であること」について考えていきたいと思います。如何でしょうか。皆さんも一緒に考えてみてください。
 
島やさい\〜「無農薬で作られた野菜であること」
 今週は、定義の最後に上げさせていただきました6番目の「無農薬で作られた野菜であること」について考えていきたいと思います。
 人類は、人工的に作物を作り出す農業というものを発明しました。そして化学肥料や、農薬を開発することにより、多くの作物をより確実に収穫することを可能にし、また、ビニールハウスなども利用することにより、季節の野菜を一年中収穫することも可能になりました。それは、すごいことだとは思うのですが、この島の中で、他の土地と同じ物を作っていたのでは、この島の農業はジリ貧になるということは、これまでの現状で明らかになっています。

 確かに、農薬や化学肥料を使わないと、その仕事量たるや非常に大変なると言うことはわかっています。ただ、それがこの『島やさい』というブランドの大切な付加価値なのです。科学的なものは一切使わず、その代わりに、手をかけ、その野菜のおいしさを引き出す、イメージを高める、その付加価値を十分に生かしたものが『島野菜』であると考えています。
 自然に逆らい、季節を無視して作物を育てるためには、農薬や化学肥料が必要になります。近年、人類は、それだけであき足らず、作物に遺伝子操作まで加えるようになりました。虫がつかない野菜・・・そんなもの、人間だって食べたくないですよね。この島の中では、絶対にそのようなものは作らないで欲しいですよね。

 また、昨年話題になりました狂牛病。その原因特定のためにいろいろなことが言われていますが、その中で一番に上げられたのが、「肉骨粉」でした。なんと、草食動物の牛の餌に、こともあろうに、動物の肉、それも牛の肉や骨を混ぜていたとは、共食いじゃないですか。こんなことをやっていては、何があっても不思議じゃないと思いませんか?
 そして農薬や化学薬品を使用するということは、薬品等が土や地下水の中にも浸透していきます。と言うことは当然、自然環境にも大きな影響を及ぼします。

 以前、島内をドライブしていたときのこと、きれいな小川があり、そこで川魚を取っている人を見かけました。珍しかったので、私たちは、その様子を眺めたりして川でしばらく遊ぶことにしました。1時間ほど遊び、ドライブの続きをしていますと、その川の上流で、農家の方が農薬を散布していました。あの薬が、さっきまで遊んでいた、あの小川にも流れているのだと感じたとき、少しいやな気持ちになったものです。
 この島を、環境と共存する島にする。そのためにも、自然というものを大切にしていくということは重要です。その自然環境を守るためにも、極力化学肥料や農薬の使用量を減らすことが必要です。そして、そのような島になってこそ、『島野菜』のブランド力が一層強固となるのです。
 如何でしょうか。皆さんも一緒に考えてみてください。
島やさい]〜「無農薬で作られた野菜であることA」
 今週は、先週に引き続き、定義の6番目「無農薬で作られた野菜であること」について考えていきたいと思います。
 ところで皆さん、「完全無農薬野菜」と「無農薬野菜」の違いはご存知ですか?
農家の方には、常識的な話で、何を今更・・・だと思いますけど、私も最近まで知りませんでしたので、参考までに紹介したいと思います。
★ 減農薬野菜
通常使用する農薬の回数を1回でも減らせば、この名称で呼ばれます。
★ 低農薬野菜
通常使用する農薬の回数を半分程度に減らせば、この名称で呼びます。
★ 有機野菜
作り方と産地を明確にし、出荷10日前から農薬を使わないで、商品化された野菜。
★ 無農薬野菜
農薬は使用しないが、化学肥料と除草剤を使用しているもの。
★ 完全無農薬野菜
土壌に3年以上農薬を使用していない土地で、化学肥料や除草剤も使用していない野菜。当然、作り方と産地を明記します。

 厳密に言うともっと細かい規定などがあるかもしれませんが、ザットこういうものだそうです。 
私たちの言う『島やさい』と言うブランドは、当然この「完全無農薬野菜」を基準に考えています。ただ、インターネットとか見ていますと、この「完全無農薬野菜」をつくり、自治体で条例に基づき独自に審査をして認定を行い、野菜を流通に乗せているところがたくさんあります。ですから、この「完全無農薬野菜」を作るだけでは、現在既にやっているところとの差別化を諮るのは非常に難しくなるでしょう。
でも、『島やさい』は、それだけではありません。健康で美しい空気と土と、水をふんだんに保有している、自然環境と調和したこの五島列島・福江島の中だけで育った野菜で、太陽の光を燦燦と浴びた旬の野菜である上に「完全無農薬野菜」なのですから、これはもう贅沢の極みとは思いませんか?これが、つまり『島野菜』と言うわけです。
  如何でしょうか。皆さんも一緒に考えてみてください。
島やさい]T〜「島やさいの流通について」
 これまで、長々と『島やさい』について書かせていただきましたが、これらのものが実現されたとして、さてどのようにして流通させていけばよいのでしょうか。
 通常、島内循環ルートと、島外ルートが考えられるでしょうから、それぞれ考えてみたいと思います。

@ 島内循環ルート
折角、ブランドを持った野菜を育成するわけですから、当然島の外への販路は求めていきます。しかし先ずは地元での安定した消費というものが重要になります。地元で認知され、安定して流通すること。これは、これから『島やさい』に取り組んでいく農家の方の育成のためには絶対に必要なことです。ですから、このコーナーを読んでくださっている皆さんは、もちろんわかってくださっていると思いますが、地元の野菜を買ってください。特にこの『島やさい』が流通し始めたら、真っ先に手を出してください。一般的な野菜より、価格は少し高めになるとは思いますが、そのすばらしさはご存知のことと思います。
例えば、皆さんが『島やさい』を買うとどうなるでしょう。
● 皆さんは、健康な土地で取れた、旬のおいしい野菜を手に入れることができます。
● 島内の農家の方の収入が安定し、農業に希望が出てきます。
● お店屋さんは、島の外から品物を仕入れないので、島の外の業者にお金を支払いません。ですから、この島からお金が出て行きません。
● お金が島の中を循環するようになります。
● 全てが島の中で処理されますので、島内の税収も増えます。
さて、これを、島外から仕入れられた野菜を皆さんが買うとするとどうでしょう。
● 皆さんは、どこで、どのように育てられたかわからない野菜を手にします。
● 島内の農家の方には、収入が入ってきません。どうしましょう。

● お店屋さんは、島外の流通業者にお金を支払いますので、この島からお金が出て行くことになります。そして、この島はどんどん貧乏になります。
● 今までどおりに、この島へ物が入り、一方的にお金が島外へ出ていくという図式が続きます。
● この島の中の人に、お金が落ちていないので、島内の税収が減ります。そして、産業自体がなくなっていきますから、この島で生活する人がいなくなってしまうでしょう。

 どうですか?大げさな話だと思いますか?でもこれは現実の話なのです。
この『島やさい』を作っていくのは、当然農家の方たちです。しかし、これを助け、育成していくのは、消費者の皆さんなのです。どこかで、この『島野菜』を見かけたら、是非手にとってください。お願いします。そして、皆さんも一緒に考えてみてください。ご意見お待ちしています。次週も、島内の流通について考えてみます。
島やさい]U〜「島やさいの流通についてA」
 今週も、先週に引き続き、『島やさい』の流通について考えてみたいと思います。
先週は、消費者の皆さんに、「島やさい」をはじめとする島内で採れた野菜を買ってくださいというお願いをさせていただきました。今度は、野菜を販売されている方たちにもお願いです。「島内で採れた野菜の販売を推進してください。」消費者の声を聞いているのは、誰でもない、販売されている人達なのです。消費者の求めているような野菜作りというものも、今後の島内の農業の発展のためには欠かせないものだと考えます。生産者・販売者・消費者の和が出来上がると、もっともっとより良いものができ、流れがスムーズなる用には感じませんか?
 さて、このような形で『島やさい』の消費の安定を図ると同時に、島内の消費の安定を図る重要なポイントがあります。
 「公的施設への導入」です。
 
 つまり野菜を安定して大量に消費できる施設での『島やさい』の使用をお願いできればと考えています。例えば、学校給食や五島中央病院を始めとする医療機関や福祉施設。これらの施設が、『島やさい』を優先的に使ってくださるということになると、『島やさい』の安定した販路が約束できますので、農家の方の収入も安定します。取り掛かりが難しいと考えられる『島やさい』にも、農家の方たちも『島やさい』を作りやすくなるでしょうし、島内の農業の復興・発展には大きな影響を及ぼすと考えられます。
 まず学校給食ですが、成長期の子供達が食べる野菜です。それは、専門の方たちが頭をひねり、きちんとしたものを作っているのは間違いないはずです。ただ料理の中に使っている野菜は、島内の野菜、特に『島やさい』を使用して頂きたいと考えているわけです。太陽の光を燦燦と浴びた、旬の無農薬野菜です。ビタミンも栄養もたっぷりだと思いませんか?そして、形のそろってない、通常クズと呼ばれる野菜も使用できるような工夫も是非お願いします。

 また、五島中央病院を始めとする医療機関や福祉施設でも同様です。栄養価の高い、『島野菜』の使用を是非お願いします。特に数多くの入院患者さんを抱えている五島中央病院では、もう既に行われているとは思いますが、島内産業の育成のためにも、島の野菜や米を使ってください。その量だけでもものすごいものだと考えられます。島外の業者が持ってこられる見積よりは、もしかしたら少し高くなるのかもしれません。しかし巨額のお金が島の中に落ち、しかも島内の農家の方の収入が安定し、その上、健康な野菜が手に入るのですから、一挙両得です。
 是非宜しくお願い致します。
 さて次回は、旅館や飲食店での使用なども含めて考えてみたいと思います。
 皆さんも是非一緒に考えてみてください。
島やさい]V〜「島やさいの流通についてB」
 今週は、『島やさい』の安定した消費を目的とした販路として、旅館や飲食店というものを考えてみたいと思います。これが成功すると、今後の島外への販路拡大というものがやりやすくなってきますので、これは重要なポイントだと考えます。
 では、いったいどうやって飲食店や旅館等でこの『島やさい』を使うというのでしょう・・・・当然それは料理です。
 『島やさい』がおいしいからといって、生で出して、「さあ!食べろ!」というわけには行きません。(場合によっては、そういう食べ方があってもいいのかも・・グリーンツーリズムなんかで・・)当然、それなりの料理の方法が必要になるでしょう。
 以前も申し上げましたが、アスパラガスを特産としているフランスのある地方では、アスパラガスの本当においしい旬の時期にしか出荷することを許されていないそうです。しかし、その地方には独特のアスパラの調理法があり、その料理を食べたいが為に、世界中から人々が集まってくるとのことでした。その他でも、フランスの高級レストランに入ると、鮮度の良い旬のアスパラガスをただゆでただけのものが、一皿なんと2000円以上もするそうです。

 どうでしょうか。『島やさい』を使って、このような人を呼べるような料理が作れないものでしょうか。
 確かに、日本中で名物料理を創作しようという話をよく聞きます。そういえば、ついこの間も料理の鉄人と呼ばれる中村氏が、上五島で魚料理を創作したそうです。このような動きは、色々な地方で行われ、実行されていますが、なかなかうまくはいかないようです。なぜでしょう。例えばこんなことが考えられないでしょうか。
● 素材が、別にその土地でなくても容易に手に入る。
● 開発した人以外では、なかなかおいしく作れない。
● 奇をてらいすぎて、たいしておいしくない。
● 季節感がなくて、いつでも食べられる。
● 何の変哲もない料理である。
 (あ〜、そうそう、ラーメンで地域おこしをやったところもありましたね、あそこは、かなり成功したのではなかったでしょうか。日本人って、ラーメンとカレーには目がないですもんね、私もそうですけど・・・)

 この島で、ある一定の期間だけ、旬の時期にしか食べられず、しかも素材が新鮮なのが命という、シンプルで『島野菜』という素材の味を生かしきった料理があったとしたら、どうでしょう。今の私では、これ以上考えるのは無理のようですが、『島やさい』という素材作りから、同時に始められるとしたら、時間をかけても、大切に育てていけたらと言う風に思います。どうでしょう、少し思い切った予算を使っても、将来性のある事業になるような気もしますけど・・・ 世界的にも名のとおるような料理人にお願いして、素材作りからサポートしてもらい、『島やさい』を使った料理を創ってもらうっていうのはどうでしょう。例えば、各旅館、飲食店で、違う素材の料理を名物にするって言うのも悪くないかも・・・
 是非、皆さんも一緒に考えてみてください。
島やさい]W〜「農業」
 さて、『島やさい』の島内での安定消費ができるようになると、とりあえず、生産者達には安定した収入が入ってくるでしょう。このような形で、少しでも多くの島内で取れた農産物の消費が多くなれば、今後、農業と言う職業が安定し、発展していくことができるのではないかと思っています。

 島内では、あらゆる産業の行き詰まりが感じられます。五島病院移転による商店街の脆弱化。公共工事がなくなることにより、土木・建築・港湾業者の収入も著しく落ちています。三方一両損などという言葉とともに、我々国民の負担は著しく大きくなる一方。(損が、1両くらいですめばよいのでしょうが)観光にしても、大きな伸びはありません。このまま、何のビジョンも持たずに、市町村合併などやってしまうと、とんでもないことが起きてしまうでしょう。この島内の産業をとりあえず落ち着かせるには、農業も含めた一次産業の復興が大きなポイントになるのではないかと私たちは考えています。

 しかし、農家の方たちに話しを聞くと、「野菜がバカみたいな価格で取引される。箱代と手数料を引いたら何も残らない。」「箱にきちんと入るような形をしていないものは、クズ野菜として流通させてもらえない。」など、全く持って、おかしな話だらけなのです。こんなことでは、農業を続けていこうという意欲もなくなると言うことをおっしゃる方さえいます。
 では、何故野菜がバカみたいな値段で取引されるのでしょうか。それは、海外、または国内でも広い土地で、大量に生産されたものを大量に輸送してくるからでしょう。それらと同じように作られていて、特に特徴をもたなければ、いくら島内で生産されたからといっても、島外から輸送されてくるそれらの野菜と同等の値段しかつけようがないのでしょう。
 そこで私たちが思いついたのが、『島やさい』でした。ではここで今一度、島野菜の定義を紹介したいと思います。

『島野菜』とは・・・・
@この島の中で育まれた野菜であること。
Aこの島の元気な土の上で育まれた野菜であること。
B健康な空気のもと育まれた野菜であること。
Cきれいな水を吸って育まれた野菜であること。
D太陽をいっぱいに浴びた旬の野菜であること。
E無農薬で作られた野菜であること。

 このような、付加価値をいっぱい持った魅力ある野菜を生産し、流通させることができるならば、多少値段が高くなったとしてもよいのではないか。そして、こんな魅力いっぱいの野菜を作れば、それを新鮮なうちに送ることができれば、島外にすんでいる人たちだって、きっと食べたいと思うに違いありません。
 では来週は、島外への流通に関することを考えてみたいと思います。
是非皆さんも一緒に考えてみてください。お願いします。 
島やさい]X〜「最後に・・・」
 この『島やさい』のお話は、とりあえず今回が最後になります。
 この『島やさい』の目的は、「福江島で採れた野菜に付加価値をつけるということ」です。この付加価値をつけることが可能になれば、「島外から入ってくる野菜との差別化を図る」ということができます。差別化が図れると、島外から入ってくる野菜よりも多少高く値がつけることが可能になるでしょう。

 農家の方たちに安定した収入が確保できるようになると、低迷を続けているこの島の産業にも希望が見えてくるようにも思えます。
そしてもうひとつ、島の人たちができるだけ島内で採れた野菜を食べるようになるならば、島の外からこの島の中に物とゴミだけが入り、この島からお金だけが、どんどんなくなると言う現在の構図が変わる可能性も出てきます。
 この島が自立・独立して生き残るには、島の中から極力お金を出さないようにして、島の外からお金を集めなければなりません。非常に都合の良い考え方ですが、これまでこの島を支えてきた公共工事が今までどおりにあるわけがありません。ですから、この島の中の産業構造をまるっきり変えてしまう必要があります。
 では、この島にお金を集めるにはどうすればよいのでしょうか。

 たとえば、観光。この島には、十分な素材がありますが、まだまだ生かしきってないように思えます。それどころか、素材を殺してきたようにさえ思えます。ぜひ、自然・環境・景観を大切にして、自然の森林を切り倒して、植樹してみたりというような行為はぜひやめてください。
そして、漁業。この島の周りには、世界中の人たちがよだれを垂らすような素材がたくさんあります。鰹でも、クロ(特に高崎のものはおいしいって聞きますね)でも、キビナでも本当においしい魚です。個人的には、この島のシラウオもおいしいって思っていたのですけど、最近は、ぜんぜん見ませんね。それに、鮑を干したメイホウというのは、世界中がこの五島産のものを欲しがったということを聞いたことがあります。
 そして、今回の『島やさい』もその重要な産業のひとつになると考えています。

 この『島やさい』を島の外に売り出す方法として、インターネットという便利なものもあります。インターネット言うものは、その場所へ行かずにして、いろいろなものを買いも物で来ますし、いろいろなことを知ることができます。ただ、こちらから発信するものがなければ、通信販売同様、やはり物とゴミばかり輸入し、お金ばかりが出て行くということに拍車をかけるばかりのものでしょう。
 その、この島からの発信材料のひとつとして、『島野菜』というものも十分に魅力のあるものであると思います。そのことにつきましてはもう何度もお伝えしました。
 しかし、島外に流通させるとなると、輸送コストの問題が発生してきます。これは難しい問題でしょうが、現在手ぶらでお帰りになられている貨物船や輸送トラックなどを利用することも考え、うまくこれらの問題がクリアできれば、非常に楽しみではないでしょうか。
 さて、17週にもわたり、勝手なことをいろいろと書かせていただきました。この野菜が現実になれば、この島にとっての大きな起爆剤になれるかもしれません。

 皆さんも、もしどこかで『島やさい』という名前のついた野菜を見かけましたら、ぜひ手に取ってください。そして、この連載のことを少しでも思い出していただければ幸いです。長いことありがとうございました。またいつの日か、『新島やさい』で、お会いしましょう。
では・・・・・・皆さんもぜひ一緒に考えてみてください。
 (平山匡彦)