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「悲しい」と言う字は、「心が引き裂かれそうになる」と書く(2009.1.15)

 先日、なんとなくNHNの番組を流し見していましたら、目が見えない子供たちが一生懸命文字を覚えている映像が流れていました。その学校では、点字だけでなく、凸凹に触れることによって漢字などの文字の形を覚えるということをしていました。中にはどんどん難しい文字の形を覚えていく子供たちがいて、その中の一人が取材の方に誇らしげに教えていたのです。
「悲しいの悲(ひ)と言う漢字は、心が、こう(手振りで、実際に両の手を引き離すようにして)引き裂かれそうになるって書くんだよ。」と。
 ガルシア・マルケスと言う作家が「百年の孤独」の中でこう表現しているそうです。(私も一応読んだのですが。)「家のなかで不幸な出来事が起きたとき、その瞬間に「時間」は割れて砕ける。そして部屋の中に永遠にそのかけらを残していく・・」と。
 確かに、本当に悲しい出来事が起きたときに、『刻(とき)』は、割れて壊れるかのごとく、心を引き裂いてしまいそうになります。そのような状況を、この盲目の子供たちは指の先に全ての神経を集中させ、その文字をかたどった凸凹の形に触れることで、文字の形と同時にその文字の持つ意味合いと、その文字が表現している感情をさえも感じ取ることができたようでした。
 私は、たまたま目が見えます。深く考えなくても文字の形をさっと目で見るだけでその文字であることを判断することができます。しかし私には、この子どもたちには見えている、その文字そのものが逆に見えなくなっていたようです。
 私たちは今もう一度、
そこにある何かが本当に持っている意味合いを・・・
そこにある何かが本当は何を考えているのかと言うことを・・・
そしてそこにある何かが本当は何を訴えようとしているのかと言うことを・・・
もう一度見つめ、捉える感性を磨く必要があるのかもしれません。
 そして、今何をする必要があるのか、何を目指していけばよいのかということを真剣に考え、何かを伝えていくと言う作業と同時に、相手に理解していただけるように努力を惜しまないと言うことをもう一度始めなければならないのだと思います。
 心が引き裂かれそうになるくらい、つらいニュースばかりが流れる、暗い暗い時代だからこそ。誰かがやらなければならないのだと思います。
“くすり”という資源(県薬だより2008年12月号巻頭言より)

 今年も早いもので、もう年末となってしまいました。年末と言えば棚卸をされるところもあるのではないでしょうか。
 棚卸をしていて、最近在庫が増えてきたな〜っと頭を抱えることはありませんか?私の薬局でも先日棚卸をしましたが、医療用医薬品の在庫が1200品目程度ありました。そして、その中で同成分・同容量の医薬品で一番多いのは何だろうと思い、ちょっと調べてみました。
 結果は『アロプリノール100mg』でした。先発の「ザイロリック錠100」に始まり、ジェネリックが5種類で計6種類です。その次に多いのが「マーズレンS顆粒」の類で、全部で5種類あります。同成分ということで、様々な容量や剤形違いまで含めて数えるとファモチジンが多かったようです。
 
 また成分とは関係ありませんが、やけに多く感じるのがパップ剤です。在庫している湿布薬を整理して一覧表を作成しましたら、テープ剤とパップ剤を合わせると30品目ありました。これが多いのか少ないのかは、それぞれ感想はまちまちなのでしょうが、その他の外用剤の塗り薬で「○×ゲル」「△○クリーム」「□○液」「#▲軟膏」「■◎スチック」というものもあわせるととんでもない種類になります。これらの湿布類は、ケースが大きなものが多く、決して広くはない私の薬局の調剤室は、少しずつ人が足を踏み入れるスペースが狭くなってきているのが現状です。
 「デュロテップパッチMT」という薬剤が出ました。確かにとても良い薬剤だと思います(個人的には、薬剤の中で若干無駄になる麻薬成分があるという点を除けばですが)ので、もう以前の「デュロテップパッチ」は処方されてこないのでしょう。つまり麻薬金庫の中に眠っている「デュロテップパッチ」はこのまま深い眠りに陥り、廃棄処分になるのをただ待つだけの運命となってしまうということです。この現象は局地的なものではありませんので、全国的に一斉に麻薬が廃棄されると言うことになります。

 医薬品の廃棄は、薬局経営者にとって大きな問題です。私の薬局では毎年、一年間に廃棄処分になった医薬品の薬品名、数量、廃棄金額の一覧を作成しています。その額たるや、ジェネリック薬の普及とともに近年どんどん膨れ上がり、ここ数年、数十万円規模となってしまっています。せっせとデッドストック情報を作成し、格安で仲間の薬局に公開してもなかなか減るものではありません。五島の狭い島の中、回転する薬も一緒なら、回転しなくなるのも同時期になってしまうのです。もっともっとデッドストック仲間の輪を広げていかないと・・・。私も小さいながらも『薬局一城の主』です。廃棄処分する医薬品が増えてきたりすると、とても悲しくもなってきます。この傾向と言うのは特に面分業を一生懸命頑張るほど顕著になるように思います。

 この医薬品の廃棄と言う問題は、「医療用医薬品」だけでなくOTCにも同じことが言えます。近年、OTC関連の卸問屋は合併・廃業が頻繁で、経営の効率化の理由からか、発注単位や制限が厳しくなってきています。そうなると私どものような小さな薬局では、仕入れた医薬品が売れ残ってしまい、返品するか、もしくは自分のところで廃棄処分するしか方法がなくなってしまいます。返品したものも使い回しはしないでしょうから、当然メーカーで産業廃棄物として廃棄処分となります。卸さんやメーカーさんに、もったいないので発注単位を少なくして欲しいと願い出てもどうしようもないのが現状です。

 このような流れの中で、医薬品は大量に廃棄され続けています。この廃棄され続けている医薬品もこの国の中にある資源の一部です。世界中には、医薬品が足りずに困っている人たちも多く存在します。そういう中で、目の前にある医薬品が大量に廃棄されていく現状を冷静に見つめたとき、それは決して正常な状態ではないように感じます。この“くすり”という資源の無駄に対する反発が、じわじわと国全体の経済の流れの中での歪みを生じ、医療経済全体に影響を及ぼしてきたとしても、なんら不思議ではないのではないのかと思うのは、ひねくれた私の頭の中だけなのでしょうか。このような資源の無駄やロスを少なくするシステム作りというものも、だんだんと考えないといけない時期に来ているのでないかと、私の小さな薬局の中で棚卸をしていて一人考えてしまいました。
 平成20年ももうすぐ終わりです。気持ちよく、温かい豊な気持ちで新年を迎えられますように、「さて!もうひと頑張りしましょうか。」では来年も宜しくお願い致します。
ある意味贅沢な旅(2008年2月 県薬だより)

 「五島も便利になりましたよね。ジェットフォイルで1時間半、福岡なんて飛行機で40分もあれば着いちゃうでしょ!陸続きの所よりも、よっぽど便利ですよ。」などと、たまに言われることがあります。
 五島支部の平山です。私たちが生活し、薬局を営んでいる五島列島・福江島は、長崎からやく100Km離れた離島です。遣唐使船の日本での最後の寄港地としても知られ、隠れキリシタンやお大師信仰など様々な歴史があり、日経新聞紙上でも「日本一美しいビーチ」に選ばれた高浜をはじめとして美しい自然・景観を有する素晴しい島です。
この島は、確かに以前と比べると交通の便は良くなりました。飛行場も近いため、福岡にも日帰りで簡単にいけますし、夏には大阪までの直行便もありますので、ある意味長崎市や佐世保市の方たちよりも便利に行き来が出るのかもしれません。ただし、天候さえよければの話ですが・・・・。

 昨年の7月の日曜日、日帰りで福岡まで講演会を聴きに行ったときの話しです。私は午前9時発の飛行機で福岡へ行き講演会に参加しました。そして午後6時、福岡出発の飛行機に乗るために、福岡空港のカウンターで手続きをしようとした時、係員の不吉な言葉を聞いてしまいます。
「福江空港上空が雲に覆われていて視界不良となっていますので、天候調査中となっております。もし飛ぶことが出来ましても、条件付ということになると思われます。(条件付=天候不良のため着陸できない場合、引き返すこともあるという条件付)」
 そんなことを言われても、明日の仕事のために是が非でも帰らなければならない私は、何と言われようが了解して乗るしかありません。ただ、このようなことは初めてでなく、欠航していないのだから着陸する目算が立っているのだろうと、気楽に構えて私は機上の人となりました。

 さて、無事福岡空港を出発したボンバルディア DHC8-Q400は、順調に福江島上空まで飛び一安心、徐々に着陸態勢に入り、高度を少しずつ下げ、もう着陸とみんなが思っていたところ、なんと飛行機は、急上昇して旋回し始めました。そして機長からのアナウンス
「福江空港上空に雲が発生しており、着陸できませんでした。もうしばらく旋回して、視界が良くなるのを待ち、再度着陸を試みます・・・・」
チャレンジを3回試みた後、またアナウンスが流れ、機長は
「やはり滑走路を確認できないため、この飛行機は福岡空港へ引き返します・・・・」

なんと私たちは、五島列島の夕暮れを見るためだけの1時間半の飛行機の旅に行ってきたようなものだったのです。(ただで・・・)無事福岡空港に戻り、チケットの払い戻しをして既に午後8時。それからが大変です。福岡空港へ引き返した乗客は、主に3通りの選択をします。ひとつは、福岡へ宿泊して翌日の一便の飛行機に乗るというもの(福江に朝8時30分着)。もうひとつは、長崎へ向かい、朝一番のジェットフォイルで福江へ向かおうというもの(福江に9時5分着)。そして私は、3つ目の選択肢に賭けることにしました。それは、福岡埠頭からフェリーで福江へ向かうというものです。弁当とビールをコンビニで調達し午後9時にフェリーに乗船。乗ってしまったら、もう腹をくくるしかありません。私には何の努力のしようも無いのです。後は船が揺れないことを願うだけです。ついさっき、90分間の「五島列島の夕暮れを空から眺める無料遊覧飛行」を堪能したばかりの私は、今度は船上の人となり、「五島列島の朝靄を眺める船の旅」に参加することとなります。(ある意味、とても贅沢な旅なのかもしれません)そして12時間の船旅をたっぷりと堪能した私は、無事明朝9時に福江港へ到着し月曜日の慌しい現実へと向かうのでした。

 さて、その日の午後、他の二組の方たちの情報が入ってきました。福岡に宿泊し朝一番の飛行機に乗った方たちは、結局飛行機は飛んだものの天候不良のため1時間以上延着したそうです。長崎へ下りジェットフォイルを選択した人たちは、船は出たものの、悪天候であまりの豪雨のため、途中でジェットフォイルが急停止して、しばらく海の上を漂っていたため30分以上の延着となってしまったそうです。12時間をかけて、ゆっくりと着実に帰ってくるという、私たちが取った選択が、一番確実な方法であったことが証明されました。(ただ、もうこりこりですが・・・)

 話が長くなってしまいましたが、今回、長崎県薬剤師会に「離島対策小委員会」が立ち上がりました。この委員会では、離島医療や、離島の薬剤師が抱えている問題点、離島の薬剤師確保についてなど、離島で薬局を経営したり、薬剤師業務に携わっている方々の、さまざまな悩みや問題点を掘り起こし、少しでも解決の糸口を見つけていくために、一つ一つ皆さんと一緒に考えることができればと考えています。離島も含んでの長崎県です。是非、離島以外に住まわれている皆さんにも、離島で活動している薬剤師のことに少しでも理解をしていただき、ご協力を賜れればと思います。宜しくお願い致します。
モノが安くなる(2007年7月)

我々の仕入れ価格よりも安く販売される。

メーカーは。より安い納入価格を要求される。

メーカーは存続するために、どこかで調整しなければならない。

それがどこなのか。

他の利益の取れるもので調整を図るのか。

それとも、製造コストを下げるしかないのか。

製造コストを下げるにはどうすればよいのか。

原料を安く仕入れるのか。原料の質を落とすのか。原料を少なくするのか。

製造ラインで手を抜くのか。

人件費を落とすのか。

製造を、安い人件費でまかなえる場所に移すのか。

いずれにしても、以前と同じものを作ろうと思っても無理があると言うことである。
コマーシャル(県薬だより2006年7月号巻頭言より)

 政府広報の構造改革に関するテレビコマーシャルで、「構造改革の何が1番うれしいって、コンビニで薬の一部が買えるようになったでしょ・・・。」というのがありました。このCMを見てアレ??と不思議に感じたのは私だけではないでしょう。事実コンビニで販売しているのは「もと医薬品」つまり、薬ではない「医薬部外品」のはずですから。このCMに対し「全国薬害被害者団体連絡協議会」から内閣府に対し抗議がなされ、内閣府も最終的に「表現が不正確で誤解を与える内容だった」として3月末でテレビ放映を終了したそうです。

 また最近、「従来の薬と同じ成分・同じ効き目で低価格な医薬品」というようなジェネリックのCMをよく目にします。果たして本当に同じ効き目・同じ薬なのでしょうか。
以前、某アレルギー治療薬の採用薬がゾロ品から先発品に変更になった際、私は患者さんに「別の会社が作っていて名称は違いますが、まったく同じくすりですから心配されずに継続して服用してください」と説明したことがあります。後日、処方もとのドクターから聞いた話ですが、後発品から先発品にしたら、眠気が強くなったと患者さんからの訴えがあったそうです。この薬剤の場合は、先発薬を半錠服用することで、後発品1錠とちょうど同じくらいではないかという印象を持たれたとおっしゃっていました。

 また外用薬も、基剤や添加物等が同じでない場合もあり、効果や塗り心地・貼り心地が違うということは医師や患者さんからもよく聞く話です。
皆さんもご存知のオレンジブックという本があります。以前と比較して、随分と「品質情報」の欄にチェックがついたものが多くなりましたが、まだ数多くの医薬品にチェックがついていないという事実は否定できません。
今回の改定において、「後発品への変更可」という制度がスタートしました。この制度が良いのか悪いのか、後発医薬品がどうなのかという議論はさておき、この制度によって薬局の判断で後発品への変更が可能になったということは、そこには確かに患者さんの意思も介在しますが、私たちは薬剤師としての責任の重さというものを自覚する必要が今まで以上に増してくるでしょう。そして薬のプロとしての意識・能力・責任力をもっともっと問われるのかもしれません。

 ここで、先発品から後発品へ変更したときに、たまたま副作用が発現したと仮定して、その責任はどうなるのかということを考えてみたいと思います。
 たとえば医師の立場からすると、確かに後発品へ変更してもよいという意思表示はしたものの、そこは薬のプロである薬剤師が、きちんと情報を収集して処方された先発品とまったく同一の後発品を出してくれると信じていたと主張されるのではないでしょうか。また患者さんにしても、確かに後発品に変更して欲しいという要望は出しましたが、先発と後発品は当然同じものだと信じていますし、薬剤師は後発品の情報提供に関し、値段の違いは教えてくれましたが、医薬品の品質データや添加物の情報などまったく説明されずに、CMと同じ「同じ成分・同じ効き目です。おくすり代が約半分になります。」みたいな説明だけあったとします。このときに、責任が重大になるのは、当然その薬を選択した薬剤師ということになるのでしょう。
本当に、医師が「後発品への変更可」にサインをしていて、患者さんが「ジェネリックでお願いしたい」と話したからといって、棚に並んでいるゾロ品に安易に手を出しても良いのか。そのゾロ品は本当に自分が自信を持って選択できるゾロ品なのかということをもう一度再確認することが重要になるのではないか。そんな責任の重さを考えさせられる改定でした。
 因みに「あなたのおくすり代を3割から8割抑える医薬品の新しい選択肢です。品質も効き目も同じ・・・」というCMもありますけど、先発よりも薬価の高い後発品もありますよね〜?
『情報』(2005年5月・県薬だより巻頭言より)
 
 私の朝の日課は、店を開けたらとりあえずパソコンのスイッチを入れ、メールのチェックをし、医療系・医薬品系のMLのチェックをし、いくつかのニュース系のHPを確認するところから始まります。
 私たちの周りには、インターネット、ML、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などなど、様々な情報が入り乱れています。これらの情報を如何に精確に吸収し自分の中で消化し、なおかつバランスを保ち判断し整理することができるかということが重要になります。

 この4月から「個人情報保護法」が施行されました。全然関係のない、大企業や行政関係の話だろうと軽く考えていた私たちも対象となると知り、五島薬剤師会でもあわてて講習会を開かせていただき、現実に起こりうる様々な話を聞かされて唖然とする始末でした。我々が保持する情報というものを、今まで以上に慎重に取り扱い、ユーザーに理解をしてもらいつつ、管理・提供・伝達・廃棄などをしていかなければならないようです。

 この4月からは他にも、「改正薬事法による処方箋薬と、それ以外の医薬品の取り扱いについて」「高度管理医療機器の取り扱いについて」など、様々な法改正が行われ、その取り扱いについても、一つ一つ精査して、対処していかなくてはなりません。これらの情報の処理についても、頭を抱える日々です。また市町村合併に伴う細かな部分の様々な変化への対応、処理に終われる日々。これらの情報についても、きちんと把握をし、それぞれが対処をしていかなければならないことを考えるとホント〜ッに大変です。
 昨年、某テレビ番組で、「ワルファリンカリウム」を継続的に飲んでいる方が、健康にいいからとグレープフルーツジュースを飲むようになったところ、脳内出血で死亡されたという内容の再現ビデオが放映されました。

 この放送の翌日は、皆さんもバタバタと情報の収集に追われたのではないかと思いますが、結局のところ、「ワルファリンカリウム」と「グレープフルーツジュース」との飲みあわせで死亡例の報告はなく、重大な副作用が出てくる可能性は現状では考えにくいということで落ち着き、テレビ局側も「患者の方々が、薬を正しい方法で服用されることを目的として放送したもので、薬の危険性などを訴えるものではありません。薬と食べ物(飲み物)の飲み合わせは、薬の成分や患者の症状の違い、体質などによっても異なります。(後略)」というコメントを出すことになりました。
 この番組については、私がコラムを書かせていただいている五島の情報誌でも取り上げましたが、患者さん方は「納豆は血液をさらさらにする」「血液をさらさらにするある種の薬を飲んでいる人は納豆を食べてはいけない。」という情報を持っています。それが中途半端な情報によって、「心臓の薬をのんでいる人は納豆をたべちゃダメなんだって!」とか「納豆が好きな人は、心臓の薬を止めなきゃなんない」という噂が病院や薬局の待合室などで一人歩きをしていくことになります。これもある意味ひとつの情報です。

 このような様々な情報が、あらゆるメディアから垂れ流しされる昨今、私たち薬剤師がバランスを保ち、一般の方たちに向けて、噛み砕いて、わかりやすい形で発信することができるかということが重要であり、難しいと実感できる反省の日々を私自身送っています。
 さて、いかがでしょうか。あらゆる情報が頭の中に充満し、情報の処理能力が追いつかず、フリーズを起こしそうな私の今の状況が少しは伝わりましたでしょうか。皆さんは如何ですか?時には頭の中のスイッチをOFFにして、たまっている、いろ〜んなものを開放することによって、頭の中や、心の中をすっきりさせることも大切なことのようですね。(匡彦)
「ゴミ??について考えて見ましょう」(2002年11月9日 ふくえアイランドプレスより) 

 久しぶりに、この島のゴミ処理について少し考えたいと思います。
 「旧ふくえタウンプレス」では随分以前に、この島のゴミのあり方について、いろいろなことを提案させていただきました。その後、福江市では、分別収集がスタートし、循環型の島作りというものが率先して行われ始めました。そして、ほっておけばゴミとなっていたようなものがそれぞれリサイクルされるような動きになっているのは確かです。但し、随分前の新聞記事でも発表されましたが、ゴミを分別して収集するようになってからと言うもの、燃えるゴミの焼却温度が上がらす、火に油を注ぐ形で焼却温度を上げるというおかしな形になっていると聞きました。これは何故でしょうか。結局、これまで燃えしていた、ビニール類、ダンボール類、新聞紙類などのような、よく燃えるものが分別され、リサイクルに回されるために、燃えるゴミとして焼却されるものの中で「生ゴミ」の占める割合が高くなったためと言われています。生ゴミは、水分が多く、焼却温度が上がりにくい。燃えにくいと言ったことが理由として挙げられているようでした。この焼却温度が下がると言うことは、ダイオキシンの発生を促すのではないかと言うことがよく言われるようです。

 そこで、私たちは、生ゴミの分別収集というものを提案したいと考えています。この内容については、この「ふくえタウンプレス・アイランドプレス」発行当時から幾度となく提案させて頂いておりましたが、生ゴミの有効資源としての有効活用というものが考えられます。具体的には、家畜の飼料にもできますし、生ゴミの堆肥化ということもかんがえられます。また、最近、国がよく取り上げておりますバイオマスとしてのエネルギー変換というものもよくなされているようです。
 まちがっても、焼却炉を巨大化し、大量のゴミを永遠と高熱でゴミを焼却しつづけると言うことで、とりあえずダイオキシンの発生だけは防いでしまおうと言う考え方だけは避けていただきたいと思います。この考え方は、循環型の街づくり、島作りという考え方とは、全く逆行した考え方ではないでしょうか。高温で、大量のものを燃やすことができる巨大なゴミ焼却施設を作りましたので、どんどんゴミを出してかまわないですよ。多少のビニール類や、不燃物のも物があってもかまいませんよ。逆にゴミが少ないと、燃やすものが足りなくなってしまいますよ。こんなことにもなりかねないのです。

 これは、当初の分別収集とは逆の発想になってしまうのです。この島の中から、ゴミをなくしましょう。できるものは、できるだけリサイクルし、物を循環させましょう。これが、本来の考え方なのです。ですから、燃やすことのできるゴミの中から、もう一段階、生ゴミを分別収集することが必要になってくるのではないでしょうか。

 できれば、生ゴミの中から家畜の飼料になりえるものを飼料として活用し、それができないものは醗酵させ堆肥とする。そのための施設も当然必要にはなるのでしょうけど、これは、今後の農業の育成のためには、十分に役に立つことになるでしょうし、島の活性化にも利益となるものと考えられます。以前にも提案したような「コンポスト号(生ゴミを収集し、堆肥を作る車)」のようなものでもよいと思います。そして、それと並行して、バイオナスとしてのエネルギー活用と言うことは、非常に有効なエネルギー源になる可能性をたくさん含んでいるのです。これらを推し進めることができれば、ゴミ全体の絶対量を大幅に縮小することが可能となるはずです。
 まず、ゴミとなるものの絶対量を減らす。そのことを考えなければならないはずです。
そのあとに、どうしても燃やさなければならないもに関しては、燃やす。ただ、このときにもただ燃やすだけではもったいないでしょう。そこには、大きなエネルギーが生まれるのですから。これを活用しないてはありません。火を燃やせば、お湯も沸かせますし、温風も作れます。電気も生み出せます。資源のない島の中では、大きなエネルギー源ともなりうるのです。
 この島の中でゴミを生み出さない。美しい島にもう一度戻す活動を是非お願いしたい。そのことは、一次産業の発展のためにも、観光の発展のためにも、そして、いらない経費を使わないためにも、島の活性化のために是非やっていかなければならない重要なことの一つだと考えます。
 市町村合併ももうすぐです。残された時間は、あまりにも短いのです。是非、皆さんも一緒になって考えてください。宜しくお願いします。 このことに関して思うことがありましたら、編集部まで是非ご連絡ください。(編集部・平山匡彦)
『故郷』へのお礼(2002.6.29 ふくえアイランドプレスより)
 
 前回のアイランドプレスへ掲載させていただきました、「故郷」という原稿へ、非常にたくさんのお問い合わせを頂きました。本当にありがとうございました。
 あの原稿は、増田町出身の故平山徳一氏の遺稿の中の一文です。氏は、この島をこよなく愛し、この島にまつわる数々の著書を残し、また社会活動に情熱を注いでこられました。この「故郷」という原稿は、氏が亡くなる直前まで書き続けておられた自伝的要素の強い遺稿の中に含まれており、生まれ故郷である増田町に対する愛情が、文章全体に満ち満ちて溢れるようです。
 「ふくえアイランドプレス」は、『五島を元気に』という気持ちから、平成8年6月より発行しておりますが、氏からも生前、何度もお声をかけていただいておりました。
 私たちも、氏の島へ対する愛情と情熱を引継ぎ、今後も活動を続けていこうと考えておりますので今後も、何かございましたら、声をかけていただければ幸いです。
 いつの日か、滔々と水を満たした増田川に蛍を見ながら、橋の欄干で夕涼みができますように・・・   (合掌)
                  「ふくえアイランドプレス」編集部  平山匡彦
故郷 (2002.6.22 ふくえアイランドプレスより)
 
 増田川は水神社の崖下を流れ、すぐに海に出る。昔は、この川も滔々と水を満たしていて、潮でも満つるようなら大人の背丈ぐらいになった。その水深にあわせて子供たちはよく泳ぎ、蟹や手長えびとも遊んだ。
 川の恩恵に俗したのは子供達ばかりではない。灌漑水はもちろん、飲料水までがこの川の水を利用した。だからムラの人たちは、この川の変化に合わせて生きてきたと言ってよい。
 ムラには穏やかな四季が絶えず訪れ、百舌や鶯、蛍などが代わる代わるやってきては、ムラ人たちの心を和ませてくれた。
 夏などはただでさえ涼しい川べりだが、北風でも吹くものなら川風が涼感を増し、ひぐらしが神社の森でカナカナと鳴くまで神社のすぐそばにある橋の欄干で涼をとったものだ。
 あの懐かしい橋も水が枯れて潮が引けば水音をたてて騒ぐようになっている。無計画な森林伐採のせいであろう。何としても、この川のほとりに蛍のランデブーを再現して欲しいと思うのは私だけではあるまい。

 川の流れは橋をくぐるとすぐ海に出る。
淡水と塩水とが合流して眩しいほどの砂浜を休むことなく洗っている。
浜では相撲をとったり、駆けっこをしたりしたものだった。農閑期には牛にすきを引かせて蛤をとるなど牧歌的風情もあったが、今では防波堤が築かれ、その風情と共に浜もなくなってしまった。
 磯では魚も釣れた。餌を投げ入れると、すぐにベラが食いついた。海に潜ると岩にはアワビやサザエがへばりついていた。
 全身泥まみれになってドロンコ遊びもした。
 学校に通う頃になると風呂焚き大将もした。女の子供たちは子守りもしたし、飯も炊いていた。教科書から学ぶより、自分の体験を通して毎日何かを吸収していった。
 子どもの頃の思い出は、今でも埋火のように胸底の奥深く焼きついていて時たま郷愁が顔をもたげては、老いの身の心を震わせている。これも住んでいた時の同化と、失われるものへのノスタルジャーがそうさせるのであろう。

 昨年、盆の墓参の途中、しばらく海に遊んだ。
砂を手に乗せて指の間から漏らすと、夏の太陽の輝きにきらきら光って指間から滑り落ち、その砂の一粒一粒に思い出がきらめいた。磯辺を眺めると遠い記憶の波が昂ぶって打ち返してくる。
 高い墓地からムラの屋根を見下ろすと、かつて廻船業、製塩業、造船業、鰹節製造などで繁栄した頃放った先人達の思念が、今や寄るべきを失って色とりどりの屋根を彷徨っているような錯覚に陥るのだった。
 時間の悪戯か。自然も変わった。人も変わった。

遥か向こうの畦に人影が覗いて見えた。そのそばには煙が立ちのぼっている。あの煙は、せめて自分一代だけでも良い。土地を死なせたくないと、せっせと土地焼きをしている老人に違いない。そう思った瞬間、涙が頬を滑り落ちた。懐古とは、もともと懐かしさよりも、寂しさに誘われるものだろうか。

 近代社会の巨大なメカニズムは、私たちから情緒も郷愁も奪ってきたし、大自然の摂理に刃を向けて非道を無反省に歩いている。これで果たして文化国家といえるのだろうか。海や川や大地が持っている自浄力も破壊するほどに人間はわがままであって良いはずはない。

 やがて大自然の手痛い報復を受ける覚悟が必要である。
 今からでも遅くはない。
 大自然と共存するような感傷的なロマンが生まれるような魅力ある故郷づくりをして欲しい。このことは、私だけの貪欲だろうか。(平山徳一)

税金 (ふくえアイランドプレス 2002年5月20日)

今年もまた、所得番付が発表されました。
「ホーッ・ふ〜ん・・へーッ・・ヒョーッ・・・???・・(シツコイ)」とまあ、なんとも他人の財布の中身は見ていて面白いもので、じっくりと見てしまうものである。
 しかしまあ、この不景気・不景気とは言いながらも、稼いでいる人は稼いでいるものですね〜。(おおきなお世話である)
 この所得番付のニュースの中で、一番税金を払っている何某さんのことが話題として登っていた。なんと、この人が住所を沖縄の竹富町に住所を移すと言うことでもう大変らしい。これまで税金を納めていただいていた島の税収がガクンと落ちてしまうということで、その自治体にとって見れば死活問題らしいのである。
 このニュースを聞いていて、非常にうらやましく思ってしまった。この何某さんのような人が数人、福江島に住所を移してくれれば、もしかしたら、国からの補助金の心配などしなくてもよくなるかもしれない。そう考えると、今度から、各省庁に陳情に回るよりも、所得番付の上位の人のところを回って、広い土地を提供するから、是非住所を福江島に移して欲しいと言う陳情をして回ったらどうだろうか。たとえば、日本の自治体を税収の多い順に2〜3グループに色分けして、税収の多い自治体の住人は、税収の少ない自治体へも税金を納めるようにシステムを変えたらどうだろうか・・・なんて、こんなバカみたいなことを考えたのは私だけでしょうか。
「黒船がやってくる」(県薬だより2000年12月巻頭言より)

 「正義はいったいどこにあるんですか!」
 最近、あるところで耳にした言葉である。この言葉が、耳から離れず、その場を離れても、しばらくぼんやりと考えてしまった。
 『正義』って、いったい何なのだろうか…どこかにあるのだろうか…何が正しくて、何が間違っているのだろうか…誰が正義の味方で、誰が悪党なのだろうか…
 幼い頃、良く見ていた漫画(当時は実写でも、テレビドラマになったが…)で、『マグマ大使』というのがあった。ここで登場する『ゴア』に対し、当時は憎しみさえも覚えたものである。それは、自分たち人間や、正義の味方『マグマ大使』を攻撃してくるからである。しかし、本当に『ゴア』は、悪党だったのか?『ゴア』は、ただ、森を切り倒し、水や空気を汚し、資源を掘り尽くし、いつまでたっても戦争を止めようともせず、地球を破壊しつづける愚かな人間達が、この地球にとっては、ただの『悪』だと考えただけなのではなかったのか…。今考えると、ガメラやゴジラ、ウルトラマンにしても同じである。

 さて、話しは大きく変わりますが、日本列島の西の端、五島列島福江島。交通の便も悪く、人口なぞ減る一方。離島振興法や地方交付税でやっと生き延びているこの島にも薬剤師会はあります。五島薬剤師会の会員は上五島まで含めて現在37名。内、薬局の開設者は14名しかいません。それぞれが、自分は自分で、のんびりと田舎の薬局という仕事をし、年に1回の総会くらいしかまともに顔を合わせもしなかったこの五島薬剤師会の中で、「(五島中央病院の院外処方箋発行に伴い)この島に向かって大きな黒船がやってくる」という話しが広まり、この騒動が始まりました。「会営薬局が必要だ!」「土地はどうする!」「薬剤師は、どこにいるんだ!」「カネはどうする!」「矢でも鉄砲でも持って来い!」あ〜でもない…こ〜でもない…と、連日連夜の会議・会議…。沖のほうに見えてきた数隻の『黒船』は、威嚇射撃を繰り返しながら、近づいては遠ざかり、時折大きな大砲を見せ付けられ、随分と悩んだ時期もありました。
しかしながら、行政・議会を始めとする、福江島民の皆様のご支援と、五島薬剤師会会員の皆様の力が一つになり、色々な問題も、どうにか解決に向かいつつあります。

 巨大な力を持つ黒船を迎え入れることの方が、スムーズな分業ができるという考え方の方もおられるかも知れません。ここには、それぞれの方の考える「正義」と言う言葉が存在するのやもしれません。しかし、私達五島薬剤師会は、この島の利益の為、我々五島薬剤師会会員の利益の為に、我々の手で分業を進めることこそが「正義」であると信じ、一丸となって頑張っていこうと考えています。
 これまで総会を始め、理事会、役員会におきましても、長崎県下の他支部会員の皆様には、小さな離島にある支部の事情をよく理解していただき、私どものわがままを快く聞きとめてくださり、本当にありがとうございます。今後も、私どもの活動を見守っていただき、これまで同様、ご支援の程、宜しくお願い致します。
 まだまだ越えなければならないハードルは、たくさん残っておりますが、様々な方達に助けていただき、少ない会員ですが、力を合わせてゴールにたどり着きたいと思っています。それでは、この後の結果は、またの機会にでも…。    
『番犬』拝見(1995年5月5日〜県薬だより)

 先日、県薬の理事会に出席したときの事。
「先生のうち、ペット飼っていませんか?」
「………ペット?………犬なら一匹いますが…」
 “ペット”というものの定義がいまいち良くわからないのだが、ペットと呼ばれる限りはきっと、1日1回は散歩に行き、ブラッシングはこまめにして、1週間に1度はシャンプーをしてもらう。まあそんなものだろうか…。そうなると、うちの犬はペットとは呼ばない。なんてことを考えながらこの「ペット拝見」の原稿を引き受けてしまった。
 彼の名前は、「トーマス・ヒラヤマ」通称『トム』。
 彼が我が家にやってきたのは4年前。やっとの思いで私が庭付きの家を建てた年のこと。 犬を飼おうと考えた理由は、新しい家に引っ越す直前、泥棒に入られ、泥棒よけに犬でも飼おうかと考えたのが発端という、犬にとってはなんとも迷惑な話しだった。
 そこで、番犬として都合の良い犬はいないものかと、犬に詳しい友人に聞いたり、ペットの本を読んだりして、頭が良いという理由で番犬として我が家にやってきたのがこの『トム』。
 番犬の『トム』も、はや4歳。おかげで良くほえる犬に成長した。新聞配達の人や、郵便配達の人。宅配便の人に、よく石を投げつけるらしい近所のガキども。カラスやスズメ。遥か高いところを飛んでいるトンビにさえも良く吠える。
 フムフム…。うちの番犬も、なんとなく板についてきたではないか…。
 だが、ひとつ気がかりな事がある。
 ある日、我が家の『番犬・トム』は、いつものように隣に住む老人にも「ワン・ワン」と吠えていた。さすがに、ポーズだけでも諌めなければならない私は、「コラッ」と一応形だけでも我が番犬を諌めてみせる。ところが、その隣の老人曰く…
「あんた達がおらんときには、あんましほえんとにね…。おかしかね…」
「あ〜、そうなんですか…どうもすみません…?」
………あれ??
 疑心暗鬼なまなざしで見つめている買主を時々横目で見ながら、シッポをふりふり。我が家の番犬は、いつまでも隣の老人に向かって「ワン・ワン」と吠えていた。
 今日も、我が家の『番犬・トム』は、元気良く「ワン・ワン」と吠えて見せる。私の前では…。

薬剤師もいろいろあります・・・・